メカニズムがわかれば、「うつ」は怖くない
- tp278442
- 7月10日
- 読了時間: 16分
更新日:7月17日
世間一般では「鬱 (うつ)」や「メンヘラ」について、真正面から語ったり、考える事を避ける風潮があるように思います。
かくゆう以前の私もそうでした。
しかし、今の私は自分が鬱を発症したことに恥ずかしさを持ってません。
そう断言できるのは鬱と正面から向き合って、トコトン戦ってきた自負があるからです。
今から私が記す「鬱(うつ)のメカニズム」は、単なる理論ではなく、私が自分の身体を実験台として体得したものです。
「なぜ私が4か月で鬱を発症したのか?」 「うつが完治する前に活動を再開して、大ダメージを喰らったお話」 と題した実録をリポートしました。
先にこのコラムを読んでいただけると、2つの記事を深く楽しむ事ができると思います。
ぜひ、最後までおつきあいください
m(__)m
■界隈にメンヘラが増えている訳
私が30年ぶりに運動界隈に復帰して驚いたことは、界隈で「鬱」「軽い鬱」に苦しんでいる人の多さでした。
千坂恭二氏の至言に
「グローバル化、民営化が進むと、人間は本質的にメンヘラ化する」があります。
氏の似た発言に
「グローバル化とは、ある意味で人類のメンヘラ化でもある。前にも言ったが、戦争の内戦化は、戦争の構造的なメンヘラ化であり、現代の思想はメンヘラの解析となる」
「これまで犯罪として外に噴き出していた人間の衝動が、メンヘラとして内々に処理されるようになる」 → (これは原典を見つけ出せなかった)
私は「メンヘラ」というのは「鬱」「軽い鬱」のことだと思っています。
ただ「鬱」といっても、私のイメージする鬱とあなたのイメージする鬱では、だいぶ異なっているでしょう。以下を読んでいただけると鬱のイメージはすり合わせが進むはずです。
■私が鬱について考え続けてきた背景
全然自慢にならないのですが、私はこの10年前の発症以来、鬱について自分を素材にしてウォッチし続けてきました。
というのもその後「離職率(半年後)」が9割を上回るブラックな世界にいたんで、丁寧にケアしないと自分自身が持たなかった為です。

自分だけでなく、他人についても注意深く観察してきました。ブラックな界隈で出会った300人のメンタルヘルスをエクセルに記録する作業を3年間続けた時期もあります。
また1年半交際した女性が健康状態から鬱をこじらせ自殺を試みるに至ったのを、防いだ経験もあります(現在の彼女は人生を謳歌しています)。
その体験は自らの「鬱についての思考フレーム」が本当に使えるものなのか、極限状況で検証する経験となりました。
私が「令和の青年運動界隈は他の界隈以上ににメンヘラが多い」と語る背景にはそのような経験があります。
■心療内科を用いない鬱治療
私の躁鬱に関する知見は、カウンセラーとのカウンセリング(以下カウセと略)と、彼の著書(30冊以上)を通じて獲得したものです。(彼は心療内科の医師ではありません)

私がお世話になっていたカウンセラーのカウセって1回30分で1万円するんですよ!
大人気のカウンセラーなので、予約してもカウセを受けられるのは最短で3週間先となります。
私は鬱の傾向が強まると「貧困妄想」が強まります。
貧困妄想とは、経済的に問題がないにもかかわらず、自分が貧困であると思い込んでしまう妄想のことです。
なので、いざカウセを受けるとなると1万円の元を取らなくてはという強迫観念に襲われるので、と膨大な準備を積み重ねます。
まず、カウセ前日までに2万字弱の近況レポートと話したいことを優先順位づけたものを執筆し、カウンセラーに送信します。
2万字のレポートともなると丁寧に読むだけで約30分ほどかかります。
マイカウンセラーにとって、私は最も時給の悪いクライアントと言えましょう。
■私のカウンセリングの特殊性=納得いくまで喰らいつく!
私は他の誰もやってない特殊なスタイルでカウセを行ってます。
最近でこそ穏やかになりましたが、カウセ受講の初回から10回までは、毎回カウンセラーの著書を熟読した上で、納得いかない部分についてカウセ当日に火花が飛び散るようなディベートをしていました。

俺「著書の内容には、一般論で例外もあるのではないか?」
俺「99%の人には該当しても私には該当しないのではないか?(私は救われない患者なのではないか)」
という具合にです。
学問的な正しさが知りたい訳じゃないんです!
今まさに鬱の苦しさのドン底にいるんです!
一問一答に自分が治るか、治らないかがかかってます。(+1万円)
私にとってカウセの30分は、高校球児の甲子園の舞台くらい、真剣な時間でした。
一年中で最も集中力の高い時間で、終わったらいつもベッドに倒れ込んでいました。
100%納得した訳ではないことを「なんとなく」で曖昧にしてしまうと、次回のカウセまで、疑問と不安と後悔に苦しむ事になります。
わかったフリをする訳にはいかないのです。
カウセ当日はカウンセラーの発言に納得しても、時間が経つと疑問がジワジワと生じて来るのが鬱の病いです。
カウンセラーの処方に従ってていいんだろうか?って不安はこみあげてきます。
この疑問を次回のカウセで潰す。
その繰り返しの末、やがて長かった夜に夜明けが訪れたのです。(1年後)

■なぜ、私はカウンセラーを最後まで信じきれたのか?
私のカウンセラーの治療法は「何もしないでひたすら寝ろ」です。
不安で眠れない場合は心療内科で薬を処方して貰ってもいいが、眠れるなら受診する必要はない、というものでした。
貯金、治療後に戻れる職場、家族が充実しているなら、安心して専念できるかもしれませんが、当時の私にはその3つともありませんでした。
極力寝るようにしていましたが、1日12時間以上寝るのは困難です。
考える時間だけが膨大にありました。
本当に治るんだろうか?
不安のループが襲ってきます。

現在は彼のアドバイスに従って鬱を寛解したという成功体験がありますが、初めての受診時はそんなものはありません。
いくら著作を何十冊も出している権威あるカウンセラーだからといって、鬱患者が他人を100%信じるのは簡単ではないのです。
90%の患者は治っても、私にはあっていないのではないか?という不安は24時間押し寄せてきます。
そんな不安を抱えた私が最後までカウンセラーに従ったのは2つの理由がありました。
■その1、私の会社を訪問し、会社の面々に私に自宅入院が必要な理由を説明してくれた
2回目のカウセでは、当時私がやってた会社まで足を運んで、社員全員に俺の鬱闘病に協力して欲しいと説明してくれました。なかなかここまでしてくれるカウンセラーっていないんですよ!

仕事を休業し、自宅入院する為に、会社の面々に理解を得る事が必要だったのですが、当時、社内の人間関係が泥沼だったのです。
売れてるカウンセラーにとって、出張って効率悪いじゃないですか。
でも治療に必要なら、その労を厭わなかった。
鬱だと何でも疑ってしまうんですが、この行動があったので、カウンセラーの「クライアントの利益を守る」ってポリシーを信じることができたように思います。
■その2,自分には他にすがれるものがなかった
当時の私の貧困妄想はガチでやばかった。
自分はもう二度と働けないと思っていました。
なので現在の貯蓄で80歳までを乗り切らなくてはいけない。
すると1日あたり使える金額は500円を切ります。1食200円しか使えません。
当時、毎日モヤシ炒めを自炊していたせいで、モヤシが食べられなくなってしまった程です。

近所のスーパーの試食コーナーが充実していたので、そこを毎日訪問してタンパク質をバグついていました。
実は当時の私は貧困妄想のせいで、健康保険には未加入でした。
心療内科は10割負担になるのでいけなかったんですよ。
鬱に関する書籍も何冊も読みましたし、ネットでカウンセラーも比較しました。
その中で一番、安く鬱を治して貰えると判断したのが私のカウンセラーだったのです。
自分、子供の頃から毎日のように本を読んできました。平均すると毎日最低1冊ペース。50年間で1万5千冊以上は読んでる筈です。
また若い頃から「凄い人」に大勢会ってきました。
何がまともで、何がフェイクかを見極める目は磨いたつもりです。
自分にはあれもこれも試すチャンスはないんだ!
保険をかけることはできない。
この人を信じて外れたら、人生終了
鬱を自覚して、治療法をリサーチした中で一番可能性が高いと判断したのがマイカウンセラーでした。
ここで外れをひいたのなら、自分の人を見る目がなかったのだ、と。
不安のループに陥る度にそうやってケリをつけていたのを覚えています。
苦しかった闘病の日々を味わないながら、鬱のメカニズムを身体で学んできました。
■「鬱のメカニズム」をシンプルに語る
A「鬱の原因は疲労の蓄積による」
B「休めば90%の鬱は治る(器質的な原因が強い10%は除く)」
Aを図式にしたのがこちら

自分がうつを罹患していると認める事に恥ずかしさを感じる人がいます。
自分は「メンタルが弱い」人間なんだと、マイナスのレッテルが張り付けられた感覚がするのでしょう。
しかしどんなメンタル強者であっても、蓄積した疲労が一定を越えれば鬱を発症します。
コップが溢れた状態ですね。
でもコップが3割、半分、8割と増えるに従って、マイナスの症状は増えてます。
溢れた状態だけを「病気」とラベリングしても仕方がないんです。

Bについて
「休めば治る」んですが、疲労が溜まれば溜まるほど、「休息をとる」ことは難しくなってしまいます。
「休んでいる場合かじゃない!」と不安の強度が強まるので、活動量を増やしてしまいがちです。
結果、疲労がいつまでたっても軽減されない負のサイクルに落ち込みがちです。
休息することの難しさについては、「うつ回復途中に調子にのって、大ダメージを喰らったお話」をご覧ください。
■人間の精神状態には大きく3つの段階がある
①第1段階=ぐっすり眠れば、疲れがとれる 誰しも「今日は疲れたなぁ」と感じる日はあるでしょう。
ぐっすり一晩眠ることによって回復するレベルが「蓄積疲労の第一段階」です。多少の疲労があっても食事と、適切な休養と睡眠により、すぐに回復できる状態。「通常疲労」とも「鬱のステージ1」とも呼ばれます。

②第2段階=イライラし、不安になりやすい
「しっかり寝た筈なのに、朝、身体が思い」と感じる人は「蓄積疲労の第2段階」に陥っているのかもしれません。
一日に回復できる量以上にエネルギーを消耗し続けると、徐々に疲労の蓄積が大きくなります。
疲労がある程度溜まってくると、まず体に変化が表れます。不眠、食欲不振、だるさ、目や肩、頭痛etc
体調だけでなく、思考や感情にも変化が表れ始めます。
よくあるのが、怒りの衝動。些細なことにもイライラしてしまう。自分に負荷を与える人や組織への警戒を強めることで、無意識のうちにそれらを避けようとするのです。警戒心だけではなく不信感も強まってくるので、人間関係がギクシャクしやすい。そもそも人つきあいはエネルギーを使う作業なので、疲労が溜まると人を避けるようになることも多い。
第2段階以降は外的刺激に対しても弱くなってしまいます。同じ出来事でも、疲れやすさが2倍になり、ショックや反応(不安、怒り、落ち込みなど)も2倍に感じます。
そして回復に要するまでに要する時間も2倍に、、、。
その為、第2段階は別名「軽い鬱」「2倍モード」「ステージ2」とも呼ばれます。
2倍モードでも好きなことは継続することはできます。ただそこまで前向きではない仕事や人つきあいは、急に重いものに感じてきます。トラブル1つの対応に、かなり苦労するようになります。
③第3段階=心身に「病気」の症状が現れる
第2段階の時点でストレスフルな環境から解放されれば、なんとか元に戻っていくこともできます。
ところが厳しい状況が更に続くと、「蓄積疲労の第3段階」に進んでいきます。(=ステージ3)
第3段階では、いよいよ本格的な「病気」の症状が現れます。うつ病や潰瘍など、はっきりと心身に異常をきたし、仕事のパフォーマンスもガクンと落ちるのです。

第3段階の別名は「3倍モード」で、元気な時より3倍傷つき易く、3倍疲れやすい。
回復するまでの時間も3倍を要するので、回復中に次のショックがやってきて、いつまでも疲労の返済が終わりません。
やがて日常生活すら維持できないほどになっていきます。
うつ状態の特徴である過剰な自責の念、自信の低下、不安や焦りが、本来の性格と関係なく誰にでもでてきます。
「こんな人ではなかったのに、、、」と感じる言動も増えてきます。
不安感が強まるので仕事を休むことや専門機関を受診する事を極端に怖がる場合も多く、自殺の衝動も発生します。
以上が人間の精神状態に関するおおまかな見取り図です 過去にステージ2,3を体験したことがある人なら、イメージしやすかったと思います。
一方、ずっとステージ1で過ごしてきた人にはピンとこないかもしれません。
■蓄積疲労への最も効果的な対処は「何もしないこと」
蓄積した疲労が少し減って、元気になると、人恋しさや不安を解消したくなって、活動を活発化させ、結果的に蓄積疲労を増やしてしまう場合が多いのです。
1倍モードの時はなんの問題もないんですけどね。が、ステージ2,3の時は楽しいことも2~3倍エネルギーを使ってしまうんです。結果的に疲労の収支が悪化して回復を遠ざけてしまいます。
「メンヘラ」と呼ばれる青年の多くは、このループにはまってる人が多い。
彼・彼女にメンヘラ属性が張り付いてる訳ではない。1倍モードに戻りさえすれば、モノの感じ方も変わるので、前向きに人生を歩むことは十分可能です。
「疲労」「ストレス」に対する適切な対処は、「適切な休息」=余計なことをしないことに尽きます。

古来の日本や中国には「喪に服す」という風習がありました。
親が亡くなった後は数カ月~1年ほど、アクティブな活動を一切控えるというものです。
疲労の負のループに陥らない工夫を、ご先祖様は自然に採用していたのです。
大事な家族の喪失は、感情を大きく揺さぶります。これも疲労の蓄積にカウントされます。
■1倍モードで感受する世界は眩しく輝いて見える
ここまで「負のループ」「3倍モード」「休め」とパァーっとしない話を続けてきましたが、そこを脱した先にある「1倍モード」はとても生き易い世界です。
自分は今自分が1~3のどの状態かを自覚しながら暮らしているので、その違いはハッキリ自覚しています。
1倍モードでも勿論悩みも不安もないありますが、世界に対し楽観的に処することができます。
蓄積疲労を減らすプロセスはかなり大変ですが、それだけの価値はあります。

日本人の勤労者のステージ別の割合は(大雑把に)
ステージ1 7割
ステージ2 2割
ステージ3 1割
■運動界隈にメンヘラが多い訳
雑な図式であるのは百も承知で書きます。
そもそも素の感性が社会の価値観と相いれない部分が多い(少数派気質)
↓
不全感を納得させてくれるものを探して、思想や運動に出会う
↓
思想や運動について学ぶことで、価値観を再構成する
↓
ますます社会からズレる
令和の20代をとりまく同調圧力は30年前より強まっています。
1990年当時の運動界隈は少数派でしたが、リアルなコミニテイは今よりはボリュームがありました。
現在も「1990年当時に生きていれば運動界隈に流れたであろう気質の持ち主」の割合は、昔とそう変わっていないと私は思います。 しかしその半数以上がステージ2以上に苦しんでいて、結果的にリアルの運動界隈の陣容が薄くなっているのではないか、それが私の仮説です。

「2倍モード」以上だと、社会の負の部分をより強く感受する事になります。
「1倍モード」に戻れば、社会の「負」の部分をそこまで強調して目に入ってこない人も多いのではないでしょうか。
「この社会も捨てたもんじゃない」と日々実感が得られていれば、人生の選択も随分変わってくるように思います。
(私自身は社会と相いれない「少数派」気質の人間ですが、この感覚により正当性があるとは思っていません)
どのような価値観を持って生きるにしろ、一人でも多くの人に1倍モードを取り戻して生きて欲しい、私はそう思っています。
「運動」の活性化の為に、2倍モードのまま社会への違和感ばかりを感受して、体制に抗する道を進んで欲しいとは思っていません。
■運動活性化の為には「疲労のコントロール」が必須な時代
このような構造を意識しているので、私はメンをヘラっている若い人に対し、ネガティブな感情を持つことは少ないです。
運動を志すには、「疲労のコントロール」に関する知識は不可欠な時代が到来したのです。
運動を立ち上げたいと思っていても、中心となる面々のメンタルが安定していないと、運動を発展させることはできません。
私自身が1倍モードを維持することが大前提ですが、2倍モードの人との共同活動は限界があります。
運動をやりたいという意志と、1倍モードを両立させている方なら、、、、活動を長期継続できるのではないかと思っています。
なにごとも基礎工事を入念に行わなければ、その上に大きな建造物を建てることはできません。
私にとって基礎工事にあたるものは、思想や理論ではなく、疲労のコントロールに関する知恵です。
自分は「臨床心理士」などの資格がないので、友達のアドバイス以上に踏み込むことは自重しています。
信頼関係を少しづつ積み重ねて、私の言葉に少しでも耳を傾けて貰えたらと思っています。
■経験論に過ぎないけれども
私のカウンセラーのメソッドは学問的な緻密な研究の裏付けに基づいた理論ではありません。
彼が1万人を越えるクライアントと接する中で体得した「経験論」です。
それを私は体験を通じて、深く納得したという次第。
90%以上の方に適用可能と思っていますが、個人差というか合う合わないはあると思います。
「ぜひ試してみて」というスタンスです。
カウンセラーに質問したことがあります。
学対「『鬱は休めば治る』という説を、医学論文などで見ることは少ないのはなぜですか?」
カ「研究者や医師も休息の重要性は理解してます。ただ彼らは新しい知見を発見することで、自己実現や賞賛を得ることに重点を置いてる。なんで当たり前すぎることを改めて研究したり、発言することに動機づけられないんだ」

カ「私の鬱に対する分析は緻密さはないけど、現にこのフレームを用いたカウセは大きな効果があがっている」
だそうです。
信仰にすぎないじゃん!
胡散臭い。
あなたはそう思うかもしれませんね。
あなたが私と会ったことがないのであれば、その疑念は正当です。
私という人間を胡散臭いと思えば、無視して構いません。
私という人間を知って、その上で耳を傾けたいと思っていただけたなら、ぜひ引き続き私の発言に注目下さい。 今回はメカニズム紹介ということで、一般論中心に記述しました 私のやらかしエピソードの実録 「なぜ私が4か月で鬱を発症したのか?」
「うつが完治する前に活動を再開して、大ダメージを喰らったお話」 もぜひ一読下さい。
疲労に関する最先端の研究を新書で解説してくれてる本が

私はこの著作を読んで、カウンセラーの鬱の分析にますます確信を強めました。
(カウンセラの実名はあえて書きません。問い合わせいただければお勧めの著書や連絡先を紹介します)
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