学対とは何か?
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「共通の目標を達成する為に徒党を組む」
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「見ず知らずの他人を巻き込んでビッグなムーブメントを起こす」
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「顔と顔をつきあわせて活動する。オンラインで完結しない」
社会運動はとても面白いエンタメなのに、昨今衰退が著しい。
特に多くの若い人は「運動」という、発想も概念も知りません。
私、学対が考える「運動」とは何か?
目標を達成する為に「他人をまきこんで、大きなうねりを作り出すこと」です。
SNSの影響力が大きくなったせいか、「他人をまきこむこと」に対するハードルが著しく上がっています。
他者との直に交流する機会が減った結果か、若者の対面コミニケーションの能力は明らかに落ちています。
日本の青年を取り巻く状況は決して好転したわけではありません。
貧困化を筆頭とする時代の変化に伴って、その抑圧は深刻化する一方です。
にも関わらず、それへの抵抗は兆しすら見えません。
対抗する動きがなければ、弱い部分に抑圧は集中し、悲惨な形で爆発することが予想されます。
日本以外の先進国では青年の運動、青年による自治組織は一定の存在感を発揮しています。
世界的にみても日本は青年運動の影響力が薄れているエリアです。
日本の20年代の最大の社会問題は青年運動の弱体化である。
という問題意識に基づいて、立ち上げたしたのがこの「学対」です。
「学対」とは、戦後の左翼政治組織内に設置されたセクション「学生対策部」の略称です。
当時の政治組織の組織構成は、一般的に最高指導部があり、その下にミッションに応じた複数の部門に分かれてました。
例)労働者対策部(労対)、救援対策部(救対)、財務部etc
また党派に属する学生は同じ党派の現役学生活動家で構成される「学生同盟」に組織されました。
その「学生組織」のリーダーを指導する党のスタッフが「学対部」です。
日本共産党を例に挙げると「青年・学生委員会(このページの下の方)」の担当者が、「民主青年同盟(民青)」の学生代表を指導しています。
この「青年・学生委員会」にあたる機関を日本の左翼運動では「学対」と呼んできました。
運動というのは、政治的な理念よりもアイデア、活動方法に関するハウツー(世間に対する喧嘩の売り方)、作風(内輪の関係の作り方が大事だというのが私、学対の考えです。
極端なことを言えば、理念がなくても、ハウツーや作風が後継世代に継承されれば、運動は立ち上がるものです。
■「学対」の上部組織、政治理念は何なのか?
ありません。
通常は政治組織の理念を達成する為に「学対部」が設けられるのですが、私、「学対」にはいわゆる政治理念はありません。
「学対」の理念は
右だろうが、左だろうが若者による運動を活性化する事それ自体が価値があるというものです。
新自由主義青年運動だろうが、左翼運動だろうが、思想でサポート対象を選びません。
(これ冗談でなく本気で書いているんですが、余り信じて貰えていないようです)
右だろうが、左だろうが、自分たちの課題を達成する為に、他人をまきこみ組織するグループが影響力を伸ばせば、反対陣営もそれに刺激を受け活性化し、社会が賑やかになっていくでしょう。
現在の青年で元気なのは、起業を企む者、動画配信者、アスリートなどでしょうか。
彼らの存在は頼もしくもありますが、仲間を不特定多数に広げる発想がありません。
生き難さの解決を全てマネタイズに求める風潮が強い。それがこの社会を息苦しくしていると言えましょう。
金儲けも必要だけど、金にならない運動に淫して仲間と一喜一憂する人生は一番面白い!
それが学対の思いです。
■作風
「学対」は特定の政治思想を外部注入しようという意志はないのですが、議論の進め方や運動展開の方法(=これを作風といいます)には強いこだわりがあります。
特に重視する点は「行動」と「思想」を一致させる事。
1970年に発刊された「反戦派高校生」をダイジェストしたパンフレットを発行してますので、興味ある方は申請下さい。面談の折に携帯します。
私のいう作風は同書の「思想の行動」「行動の思想」に刺激を受けて形成された部分が大きい。
簡単にいうと「口だけ番長」にならないようにって事ですね。
当面は試行錯誤なので、支援する団体に対し、学対が推奨する作風の伝承はしばらく保留します。
思想で支援対象を選ばないと書きましたが、作風では支援対象を選びます。
支援を求められても、作風に大きな相違があれば、こちらの譲れない一線を示し、飲む飲まないを迫ります。
それに同意いただけない場合はパートナーシップは結びません。