なぜ私はたった4か月でうつを再発したのか?
- tp278442
- 7月11日
- 読了時間: 12分
更新日:10月1日
鬱のメカニズム解説とはうってかわって今回は極私的な内容となります。 私は昨年9月時点ではノーマルな精神状態(1倍モード)でした。 なのに、2月下旬で鬱を発症(3倍モード)にあっという間に転落してしまいました。
こちとら過去2回鬱を発症していて、その予防策はしっかり勉強しています!
9~2月の5カ月間は学対の活動に専念していて、仕事はしてませんでした!
毎日8時間睡眠し、健康面には最大の留意をしていました。
にも関わらず、運動に関わるようになって僅か5か月で鬱を発症してしまったのは何故か?
2~6月の闘病期間中、ずっと悩んでいた最大の疑問はそれでした。
疲労の量の計算が合わないんですよね!

寛解(=うつの完治)した今になってわかりました。
たった5か月で墜落してしまった、そのわけが。
(自己分析をカウンセラーに提出したところ「妥当な分析」と評価を受けました)
■1年前の精神状態
実は私は2024年の5~7月にも鬱を発症していました。
2023年下半期から極度のストレスを浴び続けていたので、自分でもわかってました。
「自宅入院」から50日目の7月18日に寛解との診断を受けました。
当時はネガティブ感情からスッカリ解放されたのをハッキリ覚えています。
実は完治してなかったんじゃねーの!
ってツッコミもあるかもしれませんが、うちのカウンセラーの寛解判定はガチで厳しいので間違いはないと思います。
その後の7~9月は、次の活動方針を見定める期間と位置づけ、ゆとりのある生活を過ごしていました。
(なので疲労の蓄積はあっても僅かだったと記憶しています) ■プチ躁に襲われる
昨年9月、界隈に接触し、学対というコンセプトを思いつきました。
新しいVISIONに興奮し、「プチ」躁状態の日々を過ごしました。

「プチ」躁と表現しているのは、専門家に相談したところ、君の躁は「いわゆる躁状態」ではないと判定されたからです。
「いわゆる躁状態は、虚言癖や、金銭感覚の麻痺が起きる場合が多いが、君はそのような症状までは呈していない。悪質ではないから治療は必須ではない」と。
振り返ってみると、幼少期から自分はプチ躁状態を何度も味わってきました。
プチ躁になると眠れなくなるので、二階の子供部屋の中を数時間グルグルと歩き回るのが常でした。
余りにもぐるぐるするので、1階の母親は「うちの二階には熊がいる」と話のネタにしてました。

今振り返ってみると、自分が過去に運動に打ち込んでいた時は「プチ躁」を伴っていましたが、当時はメンタルに関する知見は皆無だったので、自分が「プチ躁」状態という自覚はありませんでした。
なので自覚して「プチ躁」と対したのは昨年秋が初めてでした。
■突然の活動開始
2024年は9月までのんびりした日々を過ごしてましたが、10月から一気に忙しい日々に突入しました。
陰核派の結成集会を企画し(東京&大阪)
彼らと一緒に2回のデモを実施しました。
結論からいうとこの10月の時点で2倍モード近くまで落ちたのだと思います。
一般的に1倍モード → 2倍モードに至るには、相当の疲労の蓄積が必要となります。
私はどんな疲労(ストレス)を積み重ねたというのでしょうか?

私は新たな活動方針に興奮すると、それを「今すぐに実現しなければならない」と思い込む傾向があります。
思い込みの激しさ(勘違い力?)は長所でもあって、そのおかげで大きな障害があっても最後までやり通すこと力はあります。例えば、警察や警備員にいくら嫌がらせされても挫けません。
反面、そのせいで疲労を溜めやすいのです。
ハロウィーンは10月31日の風物詩ですし、自転車に関する法改正は11月1日施行です。
11月以降だとタイミングを逃するからです。
デモに大勢に集まって貰うには一日でも早く告知した方がいい ↓ 告知用のHPやtweetのデザインをそれまでに完成させる必要がある ↓ デザインにはデモの横断幕の実物を使おう! ↓ 横断幕を今すぐ作ろう!
このサイクルのどこかで1日でも遅れると、大きなムーブメントが起きる可能性が潰れるかもしれない
革命に対し責任を果たすには、デモの準備を間に合わせなければならない
話はそんな風に大きくなって、夢の中でもこのようなプレッシャーに襲われていました。
2回のデモの参加者はいずれも10人でした。
行動が失敗だったとは思っていませんが、告知が数日遅れていたとしても、影響はさほど違いはなかったと思います。
私の強迫観念は、「今すぐしたい」という私の欲望に過ぎないものを、使命感で正当化したものでしかなかったのです。
実は「今すぐやらなければ」と焦っている時って、自分の一挙手一投足が運動の興廃を左右するかのような気がして、とても興奮する=気持ちいいんです。
11月の学対としてのHP開設。11~12月のミズサーでの2回の自分主催イベント。11月末に始まった駅前アジト。
それぞれの準備過程で「今すぐやらないと間に合わない」という切迫感を常に味わっていました。 また30年ぶりの界隈復帰は、私にとって異業種(業界)参入に等しかった。 10月のデモと12月の集会、いずれも知り合ったばかりの陰核派の2人のメンバーとの共同作業でした。ノリの違いも文化の違いもあり、すり合わせるのにもエネルギーを使いました。
今ではだいぶ理解できるようになってますが、当時は全てが刺激的で、喜怒哀楽の感情にゆさぶられました。
これらがボディブローのように積み重なって、2倍モードまで疲労が蓄積したのだと思います。
■内側からこみあげる強烈な焦り
「切迫感ってたって、それがうつになるほどのものかねー」

そう思われるのも当然かもしれません。
闘病期間中に、いつから疲労がたまり始めたのか思索していた時期は切迫感のことはすっかり忘れていましたから。
カウンセラーには「6月末までは何もするな」と命じられていました。
その6月30日から、カウセを受けた7月2日までの72時間の間に、私は激烈な切迫感に襲われました。

その切迫感とは
自分は思想や理論で勝負するのではなく行動で勝負するしかない
行動=ビラを撒きから始めよう
ビラの内容は、駅前アジトへの参加を呼び掛けるアピール
週1回しか開催しないものを、ビラで撒いても受け取った人は参加することが難しい
ならば駅前アジトを毎日開催しよう
ちょうど夏休みだ! スタートにはもってこいの時期
というものでした。
治ったばかりで、毎日ビラまきと交流(議論)を5~6時間したら、あっという間に疲労が溜まってしまいます。
それでも「ビラを撒く為に駅前アジトを毎日開催しなければならない」という使命感で頭が一杯で、夜も眠れなくなってしまったのです → そのせいで、7月2日のカウセのテーマは「自分はアジト毎日開催に耐えられるか」という内容になってしまいました。
お陰様で今はこの使命感、切迫感は収まっています。
久しぶりに尋常ではない使命感、切迫感を味わい、なるほどこの強度の感情なら1 → 2倍モードに落ちた可能性は十分にあると体の内側から納得したのです。

当時は、運動界隈に復帰するか? しないか?
という問題でも頭を悩ませていました。その悩みが大きくて疲労のことを考える余裕がなくなっていました。
そんな状態が3か月も続きました。
■回復力の劣化
昨年秋~冬も、疲労対策を講じていなかったわけではありません。
睡眠時間は必ず8時間以上キープしていました。
なので回復可能な範囲のストレスと判断していました。
2~6月の闘病を通じて理解したのは、自分の回復力が著しく劣化してしまったことでした。
鬱も3回目ともなると「不安の負のループ」に陥らない技法は身についてます。
のんきに寝て暮らしているだけなのに、いつまでも回復を実感できない。

回復にこんなに時間がかかるなら、あの強迫観念に追われ続けた日々のストレスは8時間の睡眠では回復できた筈がないと、体感として納得できました。
■老体に鞭打った12日間
年末年始は実家への帰省もかねて、11日間ほど西日本を旅しました。
この数年間で1番楽しかった日々でしたが、結果的にこの11日間が、私の心身に致命的なダメージを刻んだのです。
当時の行動履歴をここに紹介します。
【昨年12月】
26日、23時発、不協和音の会・吉野君の車で大阪に移動(14時間)
27日、。18時から陰核派集会(翌朝10時まで千坂恭二氏他と討論)
28日、10~13時サウナで就寝。19~30時まで吉野君他と忘年会
29日、朝6~12時サウナ就寝。京都に移動し、19~30時までBAR或いは「」で交流。
30日、朝7時~18時就寝。20~30時までBAR或いは「」で交流。
31日、寝ないで朝6時にヒッチハイクで広島へ(スペース配信)。14時に実家着。そのまま自宅の裏山に登山(高尾山クラス、約2時間)
元旦、終日就寝
2日、14時まで就寝。17~26時まで同窓会。
3日、朝4~12時就寝、13~18時、ヒッチハイクで福岡へ(スペース配信)。19~28時まで外山合宿打ち上げに参加。
4日、朝4~8時就寝。9時、外山合宿参加者4名と一緒にヒッチハイクで東京へ(スペース配信)
5日、朝5時、東京到着。7~14時就寝。17~23時、都内で新年会

発症した今になって振り返ると、この11日間の無茶が致命的でした。
(20代の方なら、リカバリーが効くと思いますが)
この時期、毎日が楽しくて脳内麻薬がダダもれでした。
私は他人と比べ、楽しい時に流れる脳内麻薬の分泌量が人一倍多いです。
その分泌量の多さは100人に1人いるかいないかクラスだと自負しています。
私は楽しさで脳内麻薬がダダ漏れになると、疲労を感じるセンサーが麻痺してしまうのです。
連日の交流に次ぐ交流。議論につぐ議論。移動につぐ移動。
それをものともしない自分を誇らしく思っていました。
「若い者には負けていない」と。
が、感覚がマヒしていただけで、疲労はしっかり積み上がっていた。
私は疲労が溜まるほど「貧困妄想」が強まるという傾向があります。

西日本遠征の総支出は約3万円でした。
道中全てヒッチハイクですし、ホテルには一切泊まっていないのですが、それでも赤字が怖くて怖くて。
休息をとることが大事だとわかっていたのに、赤字を少しでも埋めたいという焦りから、疲労を軽視してしまいました。 この4か月(120日)に使ったエネルギーの総量を120日で割ると、危険水域には達していないと思います。 だけど年末年始のような強行軍を何回か繰り返してしまった。それだとリカバリーが追い付かず、負のサイクルに陥ってしまった。
その結果、4か月の戦線離脱という大きな代償を払う羽目になってしまったわけです。
■2倍モード → 3倍モード
1月に東京に戻って以降は、ものごとのネガティブ面を強く感受するようになってしまいました。
例えば駅前アジトで人と会話してもつまならい。
アジトの集まりが少ないことが気になる。
このままの活動を続けても駄目だという焦り。

焦りから、千坂恭二氏をゲストにしたYOUTUBE動画を撮る事で突破口を開こうと試みる。 ↓
準備段階でものすごく消耗する ↓
2月に大阪でYOUTUBE撮影旅行(3泊) ↓
貧乏性なので20時間分も収録する。
人生初の動画。大きな声を張り上げ、集中力を保って議論に参加。 ↓
東京に戻った途端、布団からでれなくなる ↓
帰京から10日後、デート中に自分の会話の余りのつまらなさに驚く=明らかに頭が働いていないことに気付く ↓
発症に気付く
1つ1つの行動を反省しても意味がないんです。
疲労の蓄積に手をうたない限り、蟻地獄からは抜け出せなかった筈です。
そもそも何をやっても「うまくいった」と感じる力が落ちてるのですから。
■4か月で発症してよかった
年末年始にもう少し自重していればと書きましたが、今は「早く鬱を発症して良かった」と思っています。
自分の場合、一旦2倍モードに落ちてしまうと、1倍モードに戻すのは難しかっただろう、と。
2倍モードでは、活動していてもネガティブをより多く感受するので、何をやっても至らない点ばかりにFOCUSしてしまいます。
結果、嫌な性格が悪くなるのは避けられなかったと思います。性格が悪い人間の運動が盛り上がる訳がありません。

5か月で鬱を早く発症したおかげで、早く1倍モードに戻すことができた。
4か月の闘病を通じて、蓄積疲労の怖さを思いしることができた。
自分は5年前から部屋に「1倍モード厳守」と部屋に張り紙しています。

1倍モードさえ維持できていれば、無職無収入でも人生は楽しいし、
2~3倍モードなら、社会的地位があっても、人生は苦しい
私の信条です。
■「生活の安定」の為には頑張る気になれない
運動って、エネルギーがたくさん必要じゃないですか。
鬱の地獄をのたうちまわった訳ですから、「もうそんなハイリスクな人生は辞めよう!」と思ってもおかしくない筈なんですが、1倍モードに戻ったら再びリスクを追求したくなってしまった。
但し、リスキーな活動を長く継続するには、これまで以上に疲労のマネジメントが必要です。
それこそ24時間、自分のストレス度合をモニタリングするような。

他人から見ると「ずっと意識してるなんてうぜー」と思われるでしょうが、今の自分は「やってやんよー」と意気軒高です。
人類の最先端って感じがしてます!
■蔵出しエピソード
躁の鑑定を専門家にお願いした際、
「あなたは医学的な意味の躁病まではいかない、プチ躁だ」
「躁病は金銭感覚がおかしくなる」
といわれました。
実はドケチな自分が、20年ほどまえに、東ヨーロッパに工作員を送り込んだことがあります。
視聴率が15%を超えるTV番組を一瞬画面ジャックできるチャンスがあったので。
総予算は百万円を切りましたが、当時の自分の所持金からすると結構な額でした。
(本当は自分が行きたかったのですが、急な派遣で仕事を休めず、親友に依頼しました)

自分は昔から「ここが勝負時」と判断すると、全てを賭けたくなる衝動があります。
ここを突破できれば、歴史が変えられる!
と高揚(妄想?)して、全てを投げ出すことが嬉しくなってしまうんですよね。
若い頃はそれでもよかったんですけどね。
今回4か月地獄を味わって、賢くならなければとつくづく思いました。
肝心な工作の結果は?
現地で優秀な電通社員に妨害されて、失敗に終わりました。
(電通社員の有能さをつくづく思い知りました)
これ以上は「敗軍の将は語らず」です。
興味がある人は、会った時に質問されたら説明します。
今はのんきにBLOGを書いてますが、5週間前は「関係者以外立ち入り禁止」区域に侵入し、生命の危機から全身ガクブルの生命の危機に陥ったこともありました。 一体何をやらかしてしまったのか? 回復途中で活動を再開して、手痛い目にあったエピソードはこちら
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