4日間も現実逃避してまった💦~それについての考察
- tp278442
- 2月12日
- 読了時間: 9分
更新日:10月1日
動画の編集作業をしなければいけないのに丸4日間現実逃避していた。
(大阪へのYOUTUBE撮影遠征から帰京後、実に86時間40時間睡眠し、起きてる時間も食事以外はずっと布団の上で過ごした)
久しぶりの長期現実逃避について考察をめぐらしてみた。
個人的、内面的な考察なので、興味が持てない人は無理して読まなくてOKです。
今回のYOUTUBE収録には5名に無償協力いただいた。彼らの協力に応えるのは速やかに動画をUPする必要がある。
今後必要になってくる動画の編集に全面協力を約束していただいているのは「ばかデカい愛さん」だ。
彼女は躁鬱の波があるから、私の作業が遅れると鬱期に突入し、更新が著しく遅滞する可能性がある。
にも関わらず、何故こんなにサボってしまったのか?
(というかこのBLOGを書いてるせいで、実作業は更に後回しとなる)
理由は3つある
老いると新しい作業に挑戦する事をストレスに感じる(動画編集など全くやったことがない)
自分は躁鬱の波が激しい。10~1月は躁期だったが、遂に躁期が終了した。躁期が終了すると、自分はPCの前に座る事ができなくなる
大阪遠征が非常にハードだった。(心身両面での疲労)
3については自分でも自覚しているので、月曜までは後ろめたさを感じずに静養に専念できた。丸3日静養したので火曜11日はいよいよ作業に着手しようと考えたのだが、起床してすぐにバカ食いしてしまった。
胃もたれする程過食すると、机に座るのは億劫になる。胃もたれが収まるのを待って、作業開始する方針に変えたが、その5時間後に、まだ胃が重い荷も関わらずカップラーメンを食べてしまった。
そしてそのまま12時間の就寝。
私は寝るのが得意な方だが、それにしても12時間にわたって熟睡するには、現実逃避への強い動機が必要だ。
10~12月の躁期は躁病を抑える薬を飲まない限り、2時間毎に中途覚醒していた。現在は躁病を抑える薬の摂取は完全に辞めている。これは躁病は完全に収まっている事の証左である。
それぐらい未知の作業に着手することは自分にとって億劫だ。(一度、編集実務に慣れてしまえば、ここまでの逃避感情は発生しない筈)
10~12月はこのような症状はほとんど発現しなかった。
でなければWIXというHP作成ソフトを用いての、新規HP開設はできなかった。
同時期は起きている間中、万能感が心の奥底から湧き出して来たいた。
「俺、つえー」という感覚である。ドーパミンなんだか、ノルアドレナリンだか知らないが、自分は人一倍「自己肯定感をもたらす脳内麻薬」の分泌量が多い。
次々と押し寄せる「俺、すげー」の快感の波は、布団の上でまどろんでいる事を許さない。 「今、この瞬間に立ち上がれ!」という強い動機が自分のケツを蹴り上げる。
興奮が続くせいで、睡魔も襲ってこない。意識的に寝ようとしなければ、24時間以上起きっぱなしの日々が続く。
長年の経験でそれを放置すると、鬱転するのは理解している。
睡眠薬を摂取する事で鬱転を抑え、1月までは躁を低め安定に保つことに成功できていた。
躁の症状が完全に収まったのは1月31日である。
この日、同志と議論を行った。議論の内容は「20年代にオフラインの大衆運動の可能性があるか否か」というものだった。
私は勿論「ある」の立場だが、同志は「ない」と断言した。
オフラインの運動が想像以上に広がりにくい事は、10~1月の活動を通じて実感していた。
同志の発言に感情的に反発したものの、無視する事はできなかった。
躁期は自己全能感が次々と押し寄せるので、冷静な判断するのが難しい。自分の判断の偏向については、自覚していたものの、それでもバイアスを完全に消去することはできなかった。
1月末になり、躁のバイアスが消えた事により、これまで自信をもっていた自分の判断に迷いが生じるに至った。
学対の活動の根拠をなしていた「自信」がグラついたという訳だ。
この判断の迷い、それ自体は歓迎するべきものだと思う。
冷静な判断ができるようになったという事だから。
大阪遠征(2月4~7日)直前段階での迷いが生じたことは、自分にとってショックだった。
本来なら強いモチベをもって、協力者をまきこまなければならないタイミングで、自分の自信がグラついてしまった訳だから。
とはいえ、他人に対し約束した事を履行しなければ、自分が惨めになってしまうのは深く理解してる。
義務感をバネに大阪での収録はやりきった。
少し話が脇道に逸れるが、やりきれたのには2つの要素があった
適切な獲得目標の設定 目標として、動画のバズは諦めた。設定した目標は A、自分自身が動画撮影、編集に慣れる事 B、収録参加者との信頼関係の構築 収録はトラブル続きだったのだけど、目標が整理されていたからこそ落ち込む事はなかった。
同志H君のサポート
出演者とは緊張関係があった中、完全な身内であるH君が収録現場に立ち会ってくれて事は大きな助けになった。
千坂大先生とずっとマンツーマンでは、消耗は非常に大きかったと思う。
身内が同じ場所にいてくれたというだけで、どれだけ救われたことか。
自信がグラついた直後の行動だったのだけど、出演をお願いした方は刺激的な方ばかりで、深く対話する事(3日間で30時間、密度も濃かった)で、新たな行動ビジョンも得ることができた。
また5人の収録協力者は異なるバックボーンを持った方だった。
そのような面々を一堂に会するのはかなりの力技が必要だ。それをやってのけた俺ってすごいじゃん! 自信を新たにして帰京した。そう自負していただけに、この数日の現実逃避には、戸惑いを隠せなかった。
ここで自分を否定すると、限られたエネルギーを更に目減りする事になってしまうし。
今朝になって、ようやく丸4日ぶりにPCの前に座ることができた。
が、最後のあがきというか、動画編集作業に着手するよりも、精神のジェットコースターについて分析してみることにした。
■馬鹿と躁は使いよう
学対というコンセプトは若い人に正しい分析を提案する事が求められる。
躁状態では、現実認識にバイアスがかかるので、冷静な判断を提供することができないからだ。
辛い鬱期間も心療内科にはかかってなかったし、薬にもいっさい頼らなかった。 そんな自分がポリシーを撤回し、心療内科に通院する事を決意し、処方された抗躁剤を毎日飲んでいた。
が、馬力をもって仕事をこなしていく為にも、再び躁の勘違いパワーを利用する必要を感じている。
他の人は知らないが、自分の場合は冷静な判断を取り戻すと新しい事に着手できなくなってしまう。
流し運転で活動できる時は今後も躁を抑えるが、新しい活動に取り組む時期は躁を促進する必要がある。
その結果として冷静な判断はできなくなってしまうのだけれども。
自分は現在なんのポジションも獲得し得ていない。低め安定していてもジリ貧だ。
回りにアホだと思われても、次々と新規活動を展開し、10の活動のうち2~3が当たればいいというスタンスで挑む。
また10~12月の躁は、それ以前の年単位の鬱から回復した喜びが大きかった。
鬱期は自分はもう起ち上がれないのではないかという不安、危機感に苛まされていただけに、復活の手応えは巨大な感動をもたらした。
鬱が寛解したのは昨年7月半ば。
そこから半年が経過し、躁が常態化した事で、あのきつかった鬱から抜け出した事の喜びも薄れてしまった。
昨年下半期の躁のエネルギーの土台には「鬱脱出」の感動が間違いなくあった。
再び躁に入る度に鬱をくぐるのは本末転倒と云えよう。
■ではどうするか?
10~12月に自分に「全能感」をもたらしてくれた「学対」のコンセプト。
その方向性の修正が必要となったのだと思う。
冷静な判断を取り戻した事で、10~12月の方針をそのまま援用する事に無理がある事が判明した。
ただ10~12月に抱いたビジョンは土台から可能性がなかったと判断するのは誤りだ。
東浩紀の「訂正可能性の哲学」を援用すればよいのだ。
現実に手応えを得られなければ、全能感を維持する事はできない。
自分にとっての「手応え」とは、対話で自分の知見が深まったと感じる事や、他人に対し自分が役立っているという実感を得る事だ。
前者は刺激的な議論であり、後者は悩める青年諸氏にサポートを提供できたという手応えだろう。
また自分が「オフラインの大衆運動」の必要性を訴えの主眼としているのであれば、街頭でビラを撒き行動に踏み出すべきなのだと思う。
ビラ撒きで手応えを得る事は簡単ではないので、しばらくは空回りが続くのだろうけど、現実に跳ね返されても挫けずに再挑戦し続けられる事が、自分のコア能力だと信じている。
風車に突撃を続けてるドンキホーテの試みはいつか心折れてしまうかもしれない。
ただ自分は過去に突撃をし続けるうちに金脈を掘り当てたという実績があるので、人よりは継続できるのではないかという自負もある。
ようやく手応えを掴んだ時には、初発の学対のモチーフは影も形もないところに辿り着いている可能性もある。
人はそれを転向と呼ぶかもしれないが、俺はそれを受け入れようと思う。
自分は「戦後学生運動の歴史性を背負った存在である」という使命感(勘違い)は、自分に深く根ざしている。
この使命感を毀損することなく、持続する事が活動継続にとって鍵になる。
実際のところは自分の能力は決して高くない。
パラメータのバランスも著しく悪い。

特に「空気を読めない」ところに著しい特徴があり、これが短所でもあり、長所なので、そこを前面にうちだして、そういう自分を面白がってくれる人間のネットワークを広げていくのが活路となる。
実際にこの方向性に活路がある保証はないのだけど「自分ならできる」という信憑が強いことが最大な武器だ。
また、こうやって極私的な手の内をさらけ出せるのも「全てをさらけ出せば、自分を好きになってくれる人は必ずいるはず」という楽観が土台にある。
楽観が土台にあれば、ルサンチマンを原動力にする必要は薄れる。 ルサンチマンが少なければ人と繋がりやすくなる。
以上、自分にしかわからないロジックや、ものの例えが多くて、文意が十分に伝わらないかもしれない。
もしこの記事に興味をもってくれたなら、会った時に不明な点を質問してくれると嬉しい。
機会ある事に繰り返しているけれども、自分には思想や主義のこだわりはない。
ただただコミニケーションの目詰まりを解消していくことが自分のやりたいことなんだ。
目詰まりの解消のためには、言論だけではなく、直接行動や、他人をまきこんでいく力強いムーブメントを企む必要があるじゃあないか。 そういう理路から、運動の復興を提唱している。
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