AKIRAめられなかった反乱への夢
- tp278442
- 9月17日
- 読了時間: 12分
更新日:10月1日
「自伝的革命論」笠井潔著を1年半前に読んだ際の感想文に若干の手を加えました。
当時は運動の戦線に復帰することを、たまに夢物語として想像する程度でした。

笠井潔氏は1960年代の学生運動が産んだ最高の知性の一人だと私は思っています。
私は20歳前後の折、笠井主義者でした。氏の「ユートピアの冒険」を読んで、革命運動を諦める決意を固めました。
笠井氏は数年おきに彼の最新の知見を著作として発表してきましたが、氏の具体的な地下活動の詳細は明かしてきませんでした。
この本は1968年を19歳で迎えた活動家時代の氏が何をしていたかについてFOCUSした自伝です。(68年闘争について氏は多くの著述をしていますが、自伝としては初めて)彼は若干19歳にして、共産主義労働者党という中規模な党派の学生組織のリーダーとして日本中を飛び回ります。そして10歳年上の党中央の愚昧さに反抗して、党内奪権闘争を企てる。極左の専門用語わかる人にはたまらない作品です。
一読して感じたのは、私・学対が真っ当な社会生活を送れなかったのは当然だという事でした。
笠井の主張を乱暴にまとめてしまうと「東京を火の海に沈めたい」というものだと私は思います。

被災にあった皆さん。申し訳ありません。 私は阪神大震災、東日本震災。TVを見て燃えろ燃えろと興奮していました。
私はこの日本社会ではよそ者に過ぎない。
社会を木っ端みじんにする時に、生きている充実感を感じる事ができる人間なのだと。
勿論、反乱は一朝一夕に成立するのものではありません。
導火線を準備し、若年層に着火するのは訓練された少人数のグループが必要。
自分はそのリーダーの資質はないけど、複数の役割を果たせる部隊長として存在感を発揮したい。
オルガナイザー(組織者)。
なんて甘美な言葉の響きなんでしょうか。
上記は全くの危険思想です。 が、その危険思想に正当性がある事を古今東西の哲学者の論考を寄せ集め、正当化するのが笠井の真骨頂です。
彼は論争では負けません。どんな論客もぶった切る鋭い刀を持っているのが笠井。 野崎六輔氏がその鋭さについて「余りに鋭すぎて切った後のその跡が見えない」と茶化した批評を昔読んで、確かにとうなづきました。
興味がある人は「小ブル急進主義」という言葉を検索してみて下さい。
古い左翼の世界では「小ブル(プチブル)急進主義」は敵を貶める時に最もよく用いられる用語でした。
左翼の世界ではプロレタリアート(労働者)が神で、小ブルジョア(金持ちと貧乏人の間にいる中間層)はクソというのが当時の常識。男女論界隈における「非モテ」みたいなニュアンスですね。
今でこそプチブル急進主義は市民権を得ましたが、笠井はプロレタリアが神だった時代に「非モテ(小ブル)で何が悪い」と開き直って、貧乏人を崇め奉る左翼運動に蹴りをいれた一人です。 私は笠井のよく切れる論理に魅力も正当性も感じていました。が、それを生きる指針にすることにはためらいを感じていました。 その主張に魅力を正当性を感じます。が、かといってビッグウェーブがくるまで何十年間も待つのは耐えられそうにないと思って革命に生きることを諦めました。 「ユートピアの冒険」の中に「スキーや音楽やドライビングを楽しむように革命を楽しんだっていいじゃないか」という台詞があります。その文章を読んだ時「革命を楽しむように趣味(当時はまっていた)に生きてもいいんだ」と天啓が下ったです。笠井氏以外がそんなことをいっても、右から左に流し読みしたと思います。教祖と崇める笠井氏の言葉だったのでお墨付きが得られたと思ったのです。だ 本来この台詞は「ねばならないもの」として革命を語るなという趣旨で笠井先生は記述したものです。2015年に笠井氏に初めてお会いした時に「先生のあの台詞で転向しました」と伝えたら氏は困った顔をしていたものですw
ちなみに僕はこの「小ブル急進」という言葉が大好きで、外国語の歌詞のわからない歌は全て小ブル♪小ブル♪と口ずさんでいます。小ブル急進主義最高かよ
■革命の電撃的到来なんて待ってられねーよ
大衆運動の大きなビッグウエーブは数十年に一回ペースで必ず到来します。
日本近代史で言えば
1860年前後の幕末維新。
1880年前後の自由民権運動 1905年のポーツマス条約反対の日比谷焼き討ち
1919年の米騒動から始まった、その後10年続く左翼運動の隆盛
1945年の第二次大戦敗戦に続く戦後革命期
60年安保
68年の世界同時的な学生反乱
その後、日本では社会運動は右肩下がりですが、世界的には1989年の東欧、アジアでの民主革命
2011年のアラブの春に、米国でのウォールストリート占拠など、革命運動は独裁国家だけでなく先進国でも一定周期で循環しています。
私が1991年に悩んだのは、日本で次のビッグウエ-ブが来るまでに自分の寿命が尽きるか否かでした。
運動の後退期に、次の革命を待つ世捨て人として生き続ける事に耐える自信がなかったのです。
とはいえ笠井の思想は私の価値観に深く刻まれました。一番影響を受けたのは「真理を僭称するな。すれば必ずスターリニズムに陥る」というものでした。私は真理の僭称としてだけでなく、正義の僭称すら否定するべきと受け止めました。 90年代に私が経ち上げた運動は、政治運動ではありませんでしたが、そこでも正義を掲げませんでした。笠井思想を受け止めてエゴイズムとしての運動を展開したのですが、これは人民には理解して貰えず、大変ウケが悪かった。人民はわかりやすい正義が好きなんですよ。 話が横道に逸れたので戻します 笠井の「自伝的革命論」を読む前、まだ運動に復帰する前は
これまで培った能力を活かして、もう一度起業して成功できるのではないか?
そもそも運動にかぶれなけば自分はもっと上手く生きれたのではないか?
などと、ウジウジ考えていたのですが
久しぶりに教祖の新著を読んで、今更私がこの世界でうまく折り合いをつけていきていくなんて無理!って事を改めて確認した次第です。
世間的な幸福と自分の幸福は重ならない。
たまたま重なったかに見えた時期はありました。可愛い子とつきあってる時とかね。でも蜜月期は長くは続かない。
激烈な笠井の主張に魂を奪われた人間は、日本社会とずれて果てしなく空周りしていくのが宿命なのです。
「もっとうまくやれば良かった」って思うけど、実際に世間と折り合いをつけようとしたらそこが失敗の始まり。
実際に自分の起業は経営的には成功しましたが、それによって十年間ほど軽い鬱状態をさまよい歩くことになりました。そして遂には軽いうつではなく鬱病を発症し身を滅ぼしました。
堕ちるべくして堕ちたのです。
堕ちたことは後悔すべきことではなく、むしろそれが私らしい人生だったのだ
この転がり落ちた人生をTOTALで肯定しよう、と。
過激派の居場所が日本になくなって、ずっと国内亡命を続けてきたのが自分なのです
「笠井の言ってる事なんて現代にはもう通用しない!」と切り捨てる事ができればいいんですけどね。
1968年前後に笠井が行っていた地下活動の手記を読んでる間はワクワクが収まりませんでした。
私が本来いるべき場所はあそこだったんだ、というのがこの本を読んで改めてわかりました。
私は笠井のような一流の知性を持ってないので、タイムマシンにのっても彼と同じ役割は果たせません。
リーダーではなく軍団の歯車として活躍するのが精々でしょう。
それでも今でも笠井氏の美意識は、私の中に深くインストールされています。
最初からビルドインされていた訳ではありません。
長い時間をかけて、その美意識を内面化してきたのが僕の半生です。
私は40代にある世俗的な分野である師匠について修行に取り組みました。師には「お前は人の話を聞かん奴だ」と何度も説教されました そりゃあ聞かないですよ
現世利益に適合すればするほど「いざ鎌倉」の時に全てを投げ出せなくなるし、反乱に参加しても、最後まで反乱に殉ずることが難しくなるからです。
数十年待ち焦がれたお祭りがやってきた時、それに乗ることができなかったら、何のために長生きしたと言えるでしょう。 いくら師匠の教えとはいえ革命にとってマイナスな価値観を取りいれるには慎重な手続きが必要なのです。素直ではなかったせいで、倍の時間をかけて吸収しました。とはいえ師匠に鍛えていただいた能力は、現在運動でも役立っているので心より感謝しています。
私は元々いじめられっこで、ボクシングごっこをさせられた時もパンチ一つできない人間でした。
それでは過激派活動では使い物にならないから、長い時間をかけて少しづつ戦闘性を刷り込んでいった。 世俗の師匠から説教されてばかりでした。
要は何が幸せについての前提に大きな食い違いがあるわけです。・
師匠は現世利益しか考えられない方でしたから・
私が「革命の快楽」が何かを人民に上手く伝える事ができれば、師匠と対話することが可能だったのでしょう。
ですが
この世界に居場所を感じる事ができない
この感覚を共有していない人に「革命の快楽」を伝える事は至難の業です。
映画「君の名は。」で、ヒロインが住民避難の為に発電施設を爆破するシーンがあったのを覚えていますか?


あるいは10月7日にハマスがグライダーで壁を越えたシーンの動画を覚えていますか。

これらのシーンに心を打たれた人は手を上げて下さい。
その人に対してであれば、説明する自信があります。
(イスラエル、パレスチナいずれのシンパでも構いません) 暴力や、破壊を安易に肯定することは危険です。私も自宅や駅前アジトを破壊される者は許さない。 が、破壊や抵抗の裏には強いメッセージがあるのです。 ハマスのグライダーによる神風特攻がなければ、私たちは戦争前のガザがどんなに生き地獄か知らなかったではないですか。私もガザに生まれていたらハマスの兵士に志願したかもしれません。。 私は虐げられたものの反撃に対し、過剰に共感する感性があるようです。
「秩序を破壊せんとするその企みの中でこそ私は一番輝けるだろうとソワソワしてしまうのです。 そんな私も少し丸くなってきました。 「東京が火の海になれば、富裕層こそが早期に脱出し、頂き女子りりちゃんのような人民が業火に焼き尽くされる。その事をどう考えているんだ!」と追及されれば、正直日和ってしまいます。 私は1990年の釜ヶ崎暴動参加時も駅舎への放火や、コンビニ略奪を見てビビってしまった人間です。 笠井氏は字義通りの「火の海」を求めているかもですが、私は象徴としての「火の海」なんだと思います。 一般的な過激派。例えば中核派構成員は社会の不正に起こっている人が多いんじゃないでしょうか。 自分はイジメ体験BLOGでも書いたけど社会の不正には怒れない体質です。 起業は楽しかったですよ。でも一旦お金が絡めてしまうと、楽しいからやるってところから必ずずれてしまう。 金儲け以外でやりがいのあることを見つけないと長続きしません。 単純な社会貢献にも反発心が湧きます。 社会の多数派に認められる方法で目立っても、チンコが勃たない。 一発逆転のゲリラ性があるものにはウルトラ勃起します。
ローンウルフな単身決起では駄目。徒党を組まないと濡れない。
とはいえ運動界隈で承認欲求が満たされてしまったら、いざって時には日和るかもしれない。自分の破壊欲求なんてそんなもんです。
【ここまで2024年に書いた文章をリライト】
■補足~2025年 なぜ私は頂き女子りりちゃんに対してはこんなに共感するのか? 彼女は自分以上に社会から爪弾きにされてしまった存在だからです。それも生まれた時からマイナスばかりを与えられた存在。 ヤクザは反社会的ですが、力と金の原理で動いている点で市民社会と大差がない。
りりちゃんは俺にとって持たざる者の象徴なのだと思います。そして才能がある。 正直、女性だからってのもありますね。同じ境遇でも男だと思い入れは少ないかもです。
私が深く信頼しているS井さんという方が、俺の為にNISA投資を必死に勧めてくれたことがありました。高IQで見識の深い彼が私のことを思って、真剣に語ってくれるなら、騙されたと思ってでも口座を開設すべきなのです。友人の情けを裏切るのものはやがて見捨てられます。 ですが、10代半ばで村上龍の「愛と幻想のファシズム」を読んで「早く来い来い世界恐慌」と心の奥底で願ってきた訳です。 NISAを勧められても、実際に口座開設するとなると強いメンタルブロックがかかるし、金儲けの為に努力しようとすると心が固まってしまいます。(節約は私にとって努力ではありません。生活習慣です)
心の奥底にある一発逆転の夢を裏切るような気がするのです。
俺は若い時に「世界を破壊しよう」と他人に呼びかけた経験があります。
その美意識はまだ心の深奥に残っていて、その言論責任から解き放たれるには「自分は運動を捨てます」と改めて宣言する必要があります。
もしあなたが世界から深く疎外されているなら、危険思想に近づくのはいい。でも熱に浮かされて決意表明するのはくれぐれ慎重に。
酔っぱらった勢いで「革命やるぞ!」くらいならいいですけどね。
責任をもって「話した」「書いた」発言は、無意識下であなたを縛ります。
俺は若い頃に「反労働」をスローガンにしていた時期があります。
そのせいで仕事をしようとすると、無意識が必死にサボろうとします。身体がだるくてサボるのではありません。義務感からサボるのです。サボることが自己目的化するのです。そのせいで随分苦労しました。
勿論、「云った」だけでなく「行動した」場合は、更なる拘束が生じるでしょう。
70年安保で武装闘争を呼号した人は何万人といます。しかしその責任を最後まで取らざるを得なかったのは党派の一部、赤軍、東アジア反日武装戦線+アルファです。 「発言した」人だけの人はほとんどがその言動の責任を取らずに市民社会に埋没したのです。 ダラダラと補足が続いてしまいました。終わりにします
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